(台北 17日 中央社)日本統治時代に「台湾議会設置請願運動」などに携わった蒋渭水(1891~1931)の遺灰が17日、これまで埋葬されていた台北市から84年ぶりに故郷の宜蘭県に移された。市内で行われた式典には柯文哲・台北市長らも出席し、故人の功績をしのんだ。
台湾総督府医学校(現・台湾大医学部)出身の蒋渭水は1920年代、当局に認可された最初の政治結社を結成するなど、医師でありながら民族・社会運動の指導者としても活躍。中華民国建国の父・孫文と同じような経歴を持つことから、馬英九総統をはじめ一部では「台湾の孫文」とも呼ばれている。
同日には台北市内で蒋氏ゆかりの地を巡るランニングイベントも行われ、約120人が参加した。
(游凱翔/編集:杉野浩司)
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台湾人にとって「蒋渭水」は偉人、なんでしょうか。
私は違うと思います。
聞こえはいいんですよ、日本人による台湾人差別からの開放者的に捉えられていて。
しかし、実際は違う。
蒋渭水は父親から徹底した漢民族の教えを叩き込まれていて「漢民族は偉大だ」、そして大和民族は劣るという中華思想に浸っていた。
日本時代はわずか50年。1895年から始まり、蒋渭水が生まれた1891年はまだ清国でした。つまり、彼の父親はバリバリの清国民であり、日本人を受け入れることはなかなかできない世代。日本語はもちろん話せず、子供たちには漢学を学ばせたそうです。
(補足:清国=満州族の国、旗服=満州族の衣装。写真の男性たちが着ているのは男性用簡易旗服ですね。
蒋渭水の父親世代は清国人でも漢民族、蒋渭水自身も生まれは清国時代、よって「祖国」は清国のはずなんですが、その「祖国」であるはずの「清国」は漢民族によって倒され「中華民国」建国。本来なら「祖国」を倒したものは「敵」のはずなんですが、漢民族が異民族国家を倒したということで、なぜかチャラになっています。
漢族は異民族国家=清国の間も漢学を尊び、満州族は漢族に比べれば少数派で自然に「漢化」されていきました。そして漢族は異民族の衣装であっても旗服を着続けています。まるで自分たちの伝統服のように。チャイナドレスって旗服のことですが、ほんとの漢族の衣装は唐代にみるあのビラビラ衣装で実用性に乏しいんですよね。モダンでもないし。
つまり、漢族には元々「国」という概念が希薄。民族至上主義というのはそういうところがある。そして、都合のいい部分だけは自分のものと言い張って今では自分たちが「異民族排斥!」で倒した清国時代もちゃっかり漢族文化のようにリメイクしてドラマ作ってるし・・・訳わからなくなります。
漢族国家であった明が清に倒され辮髪を強要された時は「この上ない屈辱」と泣いたそうですが、その後日本が清を倒しその辮髪は時代遅れだよと中止したらまた「この上ない屈辱!命を取られるに等しい!」と反発したんです。しかし孫文はじめ漢族の人たちは大陸で中華民国になったらみんな西装してるし。「辮髪は命!」と言っておきながらその辮髪の国・清を漢族が倒すと喜んじゃう・・・一体、どういう神経してるの?と混乱してしまいますよ。つまり、漢族が異民族を倒すのはよくて、日本人が自分たち(漢族が含まれる国家)を倒すのは面子丸つぶれじゃー!という何とも自分本位な考えです。
漢族は、民族こそがすべてであって国家概念は二の次であり、支那がうまいこといって支那が治めるところすべて中華民族!というのはごまかしに過ぎません。とはいえ現在の中華民国の中には結構満州族出身の人もいるんですよね・・・訳わかりません。民族の裏切り者か、長いものには巻かれろ的な中華思想に従った人たちなんでしょうかね。でも、何かあったら漢族以外は真っ先に切り捨てられると思いますけど。
ちなみに台湾には(支那大陸自体も唐以降年中異民族国家になって血統入り乱れているはず)純粋な漢族はほとんど皆無なんですが。。長い年月をかけて台湾原住民との混血になっているはずですから。漢化されるって、怖い)
蒋渭水の育った時代にはまだまだ試行錯誤の続く台湾統治時期。
近代化や民主化をきちんと把握しない、目先だけは「平等な社会を!国民として同じ権利を!」と叫んだところで、難しい時代です。
蒋渭水の世代は未だに大陸の祖国の文化の方が上であり、漢民族=中華の世界こそが一番素晴らしいという考えでしたから、革命が起きた祖国を美化し、漢民族が討ち立てた中華民国の方が日本より遥かに素晴らしい、正に「三民主義」の平等社会と信じ込んでいたことでしょう。
だから台湾を治める日本政府が気に入らない。
何度も問題を起こしては獄中生活を送っています。
こういった考え方の人たちがいたから、戦後喜んで中華民国を迎え入れるという過ちを犯してしまったんですね。
漢族の造った中華民国は、日本よりも近代化の発達した民主主義で平等な理想社会だ!と思い込んでいたわけです。
しかし、実際はどうか。
やってきたのは、ボロをまとった敗残兵。
規律も教養も何も無い。
国民党軍のトップは台湾から根こそぎ物資を大陸へ運び、私腹を肥やした。台湾国内は物不足のインフレに陥り、治安は悪化。近代法など全く通用しない人治国家になってしまった。
今まで日本時代は警察に捕まっても「人権」は守られましたから、獄中に入れられても裁判があったし弁護士もついた。それは近代の法治国家となっていたからです。
しかし、人治国家の中華民国では、裁判など無いしこちらの言い分も通らない。国民党軍が「あいつは黒」と言えばそのまま銃殺。
「日本人には殴られるだけだったが、国民党軍は命まで奪う」
そう戦後言われたそうです。
正当な発言であっても認めてもらえず、国民党にとって都合の悪い知識分子、金持ちは根こそぎターゲットにされ、人知れず銃殺、見せしめの銃殺、金品強奪のための逮捕などひっきりなし。
蒋渭水が崇めた祖国は、台湾に来てそういったことをやったんです。
盲目的に漢民族を崇拝する民族主義者だったが故に、真実を見極めることができなかった。
清国は約200年台湾を治めましたが、結局教育は一部の金持ち子弟の男子のみにしか普及せず、台湾全土を統治することもできず、原住民は懐柔できない部族は山地に追いやり言語の疎通もなく、ただ開拓しやすい一部の地域のみの発展しかありませんでした。
日本の統治はたったの50年です。
その間に台湾全土を開拓し統治、インフラ整備と教育の普及に努めた。原住民も漢族もすべてに教育機関を設けた。お互いに異民族ですから、まずは言葉の疎通から始めるために、語学学校、そしてまだ言語が不自由な台湾人家庭のための公学校、原住民子弟のための山地の学校、日本人子弟と一部日本語が堪能な台湾人のための小学校が作られました。
たった50年の間にです。
しかも後期には台湾人と日本人を分ける必要もなくなったため、国民学校に変わりました。
蒋渭水の過ごした日本時代は初期~中期の初め。つまり、まだまだ日本統治が未熟な時期です。漢民族至上主義者たちからすれば、大和民族という野蛮人がエラそうに上に立つなんて耐えがたい屈辱に感じていたでしょう。一部の台湾での特権階級家庭の特権がある意味剥奪されたわけですから、我慢ならなかったことでしょう。
だいたい、後から国民党も讃えるような人物が、台湾にとって有益な人物だったと言えるのでしょうか、そこが疑問なんです。
蒋渭水はあくまで自分が漢民族であることにこだわり、中華にこだわりました。
「漢民族であるが日本人となっている私たちこそが、中華民国と日本の架け橋となり~」とか言っちゃってますが、結局は日本人である以前の民族=漢人である自分に誇りを持ち、日本人を見下しており、何とか台湾を中華に組み込もうと必死だったんですね。
民族に誇りを持つことは素晴らしいことです。
そのことを否定はしません。
しかし、自分の民族こそが世界一で、他は野蛮人であり、我々が他民族に支配される(支配という考えもどうかと思いますが)のは許されない冒涜であると考えている人に、本当に民主主義が理解できていたんでしょうか?
結局は、社会主義者なんですよね。
個人的に私は蒋渭水は尊敬できない漢民族優越主義の差別主義者だと思っているので、この人の名前を見るたび、台湾の若者が勘違いして彼を英雄視していることが不快です。
よーーーく、歴史を紐解けば、わかることだと思うんですけど・・・
今の台湾は、ちょっと蒋渭水のような(彼は中華信奉者だったけれど)、偏った愛国心に走っているように思えてならないので、そこが心配です。
国民党の一党独裁から台湾を民主化へ導いたのは、間違いなく李登輝氏ですから。
本来は、李登輝氏のような人物こそ、台湾の英雄だと思います。
日本語世代の方が言っていました。
「戦後、国民党を受け入れたのは台湾でも知識層の教養のある人たちだった。自分たちは何かおかしいと思っても子供だったからどうしようもなかった。馬鹿だよな、国民党を喜んで受け入れて、真っ先に殺されたのはそういった知識層の人たちだったんだから。彼らが間違った祖国への妄想をもたなければ、祖国がどんな状態だったか情報は入っていたはずなのに、盲目的に受け入れてしまったがために、台湾はおかしくなったんだ」
と。
蒋渭水は、その元凶でしかありませんでした。
歴史は繰り返しそうで、怖いですね。